Coach the novice. 2nd season

アメフト未経験。早稲田大学卒。企業に就職できなかった私がひょんなことから社会人アメフトのプロコーチに。コーチ歴2年の新米コーチの悩みや気づき、おぼつかない足取りを辿っていきます。

エッセイ「フットボールへのリスペクト-私が発信する理由-」

 発信することは得意ではない。特にTwitterはあまり好きでもない。140字の文字数制限が非常にストレスである。無論、みな同じ条件であることも、その枠をいかに活用するかが腕の見せ所なことも理解はしているのだが、それにしても言葉がとっ散らかってしまう。そんなことを書いていると、そういえば自宅は物が散乱しているし、机の上は資料やらペットボトルやらで快適なデスク環境とは程遠いことを思い出した。元来、整理整頓が得意ではないということをこんな形で再認識させられる。
 何の話だったか。そうだ、発信することについてだ。文字数制限がないという意味ではエッセイはいい。思ったことや感じたことを徒然なるままにタイピングすればいい。ネット上に公開することがなくても、日記や授業プリントの端に自分の想いを脈絡なく書きなぐるという行為はストレス発散になる。それは多分、胸の奥にある本音が視覚的に、しかもメタ的に現れることで自分と気持ちが切り離されるからだろう。客観的に自分を見て、ある意味で冷める。例えば、誰かにすごく腹を立てて「おいお前!前から思ってたけど、上からな態度とか、自分のこと優秀だと思ってる感じムカつくんだよ!!さっさと就職しろバカ!!」と送信ボックスに打ち込んでみたはいいものの、その文面を見たらそれなりに満足して送らず終いという経験があるだろう。もし次に同じ衝動に駆られても是非その怒りは胸の内に収めておいてほしい。
 さてさて、発信についての話だったが、こんな感じで思ったことを文字にしたくなる性分なものだから、実はブログも得意ではない。伝えたいことを、順序だてて、分かりやすく解説するということが面倒だ。シーズン中の連載だった「Game Plan」も最後の方はほぼ、自叙伝だった。何を読まされているんだと糾弾されなかったのが奇跡にも思える。それでも私が長ったらしいエッセイや、苦手なTwitterで発信を続けているのは、もしかしたら国内アメフトがなくなるのでは?という不安を感じているからだ。

 そもそもこういう発信を始めた理由は、友人に、就職せずにプロコーチを目指すという私の選択を面白がられ、自分のことをコンテンツにした方がいいと勧められたからだ。事実はただのフリーター宣言をしただけなのだが、それをポジティブに捉えてくれる人がいることに浮かれて、すぐにTwitterのアカウントとこのブログを開設した。とはいえ始めてみれば、当たり前の話だが、フォロワーが勝手に増えるわけでもないことを知り、これもまた当然だが、成果があれば少しずつ増えることを経験した。一つは電車でスクリーンを食らったネタツイート。もう一つはアサヒビールシルバースターに勝利したことだろう。(初戦で勝って、ゼロックスいけるのでは?という微風の追い風からの、2敗して失速。加えてシルバースターの劇的ともいえる逆転優勝により、いまやONEPEACEの初期の中ボス「百計のクロ」くらい思い出されない、完全なモブキャラ扱いである)
 そんなこともあり徐々にフォロワー、読者も増えてきた時期に、慶應大学の問題が起こった。

 思考するよりも早く、直観的に感じたのは「アメフトがなくなる」という危機だった。
 当たり前に10年後もあると思っていたアメフトというスポーツに実は何の保証もないことを強く感じたのだ。それはもしかしたら、アメフトで食っていこうと志している私だから感じることであって、きわめて個人的で自己中心的な感覚かもしれないが、この重大な気づきを見過ごすわけにはいかなかった。
 理解を仰ぎたいのは、これは慶應大学の一件をきっかけに気づきを得たということであって、特定のチームに対してのバッシングや批判でもなく、むしろどのチームにも抱えている可能性のある事柄への問題提起だということだ。

 スポーツは文化(カルチャー)であり、文化はそれを取り囲む人々によって醸成される。私が留年した結果、辛うじて学んだことのひとつである。だから競技存続の如何は人がいるかどうかにかかっている。ことさら、メインカルチャーが野球・サッカーだとすれば、アメフトはサブカルチャーと言えるわけで、人ひとりが離れることが持つ意味は強烈だ。一度失った牌を再び集め、また増やすためにはアメフトに内在する文化について考える必要があるかもしれない。
 思えば、アメフトチームは何かと秘密を抱える。その最たるものがアサイメントだろうし、他のスポーツと比べて「作戦」が持つ意味が圧倒的に大きいのは、全てがセットプレーのアメリカンフットボールの競技特性から鑑みても妥当な考えだろう。プレーブックは年度毎に回収され、また新しいシーズンに配布される。怪我をしたプレーヤーについて言及することはタブーとされるし、コーチの人事から練習環境に至るまで、人に話すことを良しとされない事柄を並べれば、枚挙にいとまがない。とはいえ誰だって秘密は抱える。ただ、その結果、対外的に交流することが制限されて、排他的な文化に陥っているのではないかと思うのだ。あるプレーに対してのチーム特有の呼び方を一般的な呼称として認識していることや、自分のチームと違うことに極端なアレルギー反応を見せることを私自身が経験している。何より他のスポーツのアナリストが集まる機会に「アメフトの人は何をしているか分からない」と言われたことに客観性がある。

 端的な言葉にまとめると、「風通し」に関する課題なのだ。隠ぺい体質、他チームとの関係性、他競技との関りの無さ、そしてオープンな情報交流の不足。
 私は、特に最後の課題を解決するためのアプローチとして発信を続ける。情報が不足していることは、特に関係者の間では徐々に気づかれだしているし、その証拠にここ数年の間にSNSを通して選手から情報発信されることが多くなった。しかし、それもポジションの技術論に限定されることであり、オープンな環境を作るためにはよりインパクトのある機会が必要ではないか。私はそれを、意思決定者、すなわちコーディネーター、ヘッドコーチ、監督クラスによる活発な情報公開だと考えている。情報交流というのは、単に情報を交換するだけでなく、情報をきっかけにお互いが意見をぶつけ合うことだ。
 Twitterを始めて気づいたことだが、一つのプレー動画に対して疑問を呈すると多くの意見が飛び交う。私自身初めて知ることもあるし、スレッドによって広がる議論は、それぞれの意見を尊重し合い、否定せず、非常に健全なつながりに思える。神のみぞ知る、といった具合に外部からの指摘に100%正しいことはないという考えが周知されているのも、アメフト特有なのかもしれないが、だからこそ、神(というのは言い過ぎか)の言葉を求める人々が多いのも事実だろう。

 あくまで体感的だけれど、アメリカの方がそういった情報交流が活発に行われる。そりゃ本場なんだから当たり前だろうと自分でも思うが、私が言いたいのは情報に触れる機会の有無よりも、情報に対するリテラシーに差があるということ。つまり、チームのことは一様に公開するべからずという考えと、ここからここまでは公開した方がいいという考えには大きな差がある。それも「公開できる」ではなく「公開した方がいい」という、よりポジティブな気概を感じるのは私の考え過ぎだろうか。ではその情報は何にとって「いい」のか。それは間違いなく「アメリカンフットボール」にとっていいのだと断言したい。
 アメフトは進化を続けてきたし、これからも進化を続けるだろう。例えばパスプレーが意図的にゲームメイクに使われだした時、QBの走力が脅威になった時、ゾーンカバーとマンカバーの境目がなくなった時。それぞれの特異点で攻守がしのぎを削り、勝つために進化を続けるのがアメリカンフットボールの魅力だ。そしてそうあるべきだと考えるからこそ、オフシーズンには全米各所で有名コーチによるクリニックが、それもオープンな環境で行われるのではないか。そこに、勝ち負け以前のアメリカンフットボールへのリスペクトを私は感じる。
 そもそも、情報はただの素材であって重要なのは誰がどう扱うかだろう。ゲームプランを公開したところで、画期的なプレーのスキームを公開したところで、それを遂行できる選手と構成するコーチがいなければ効果的に機能するとは思えない。それでも「公開しなければ誰も触れることがない事柄だから」と渋る思いがあるならば、それこそアメフトへのリスペクトを欠いているってものだ。
 オープンな情報交流がこのまま細っていくばかりで、加えて海外に挑戦しやすい環境が整いだすこれから、日本フットボールリーグが世界と肩を並べるリーグに成長し、在り続ける可能性が減退し続けるのは自明とも言える。

 それでも、ここまでアメリカンフットボールがあり続けているのは様々な人の尽力があったからだろう。その点について先人を批判するつもりは毛頭なければ、今もなおより良い方向を目指して力を尽くす方々には頭が上がらない。選手・コーチがアメリカ、カナダに挑戦することにも全く否定的でないし、むしろ私自身にも海外志向がある。これのエッセイは、今現在、国内アメフトが過渡期にあるのではないかという提起なのだ。
 私はこれからも発信を続ける。とはいえ、常にここに書いたような問題意識を抱えて堅苦しくツイートするのでは増えるフォロワーも増えない。事実、真面目なつぶやきは得てして拡散されない。私のつぶやきでバズるのは本当にくだらないものばかりだし。もう一つ、続けなければいけないのが、結果を残すことだ。リスペクト云々よりも勝敗の方が手に取って分かりやすい。私の結果をもって、情報発信と勝敗に直接的な関係が少ないことを証明していきたい。
 そして何より、情報が活発に動き始め、またコーチや選手がより流動的に動き始め、フットボールの周りに人が集まりだしたら、苦手なTwitterも辞められる。