Coach the novice. 2nd season

アメフト未経験。早稲田大学卒。企業に就職できなかった私がひょんなことから社会人アメフトのプロコーチに。コーチ歴2年の新米コーチの悩みや気づき、おぼつかない足取りを辿っていきます。

Week 4

2019-3-10
渋谷某所/ミーティング

 20時過ぎ、渋谷のカフェで向かい合って座る。渋谷のわりに店内も空いているし、コーヒーもおいしい。そして何より店員さんがかわいいこの店は、どうやらミネルヴァ御用達のカフェらしい。
 「このチームをどう思うか」
 そう聞いてきたのはミネルヴァ歴8年のベテランで前主将でもある選手だ。今でもチームの大黒柱的な立ち位置で、キャプテンを退いた今はチーム運営にも加わっている。私がチームに加わることを決めた食事の場にも同席して、チームが私を必要としていると説いてくれた人でもある。
 少し考えて、「負け犬のチームだと思う」と答えた。生意気な男だ。ひっぱたきたい。

 本格的に練習が始まり2週間が過ぎた。プレーのインストールが終わると、ユニット練習やスクリメージ練習と呼ばれる練習メニューが増えてくる。ポジションごとに行われるインディビジュアルの練習ではなく、試合と同じように人を配置してプレーを行う練習だ。
 スクリメージ練習ではあらかじめスクリプト、すなわち台本のように練習するプレーが順序だてて決められている。1プレー目はアウトサイドのランプレー、2プレー目は短いパス、3プレー目は長いパス…といった具合である。それに加えて相手になるディフェンスの体型と動きも指定する。それをダミーチームと言ったり台ディフェンスを言ったりするが、このクオリティがとても重要なのだ。
 アメフトは攻撃と守備が分かれている。当たり前だがこちらの攻撃時は相手の守備チームがフィールドに出てくる。その守備をスカウティングして分析し、再現するのも私の仕事だ。オフェンスコーディネーターであるが、実は自チームの攻撃を設計している時間と同じくらい相手の守備について考えている時間が長い。スカウティングの面白いところは、ビデオを頼りに相手ディフェンスの真意を探り、解釈することだ。そのために1日何時間もビデオをみて、選手ひとりひとりの役割を想像する。あくまでそれが想像や推測であることが肝で、最初から相手がグーを出すことが決まっているじゃんけんなんて楽しくない。もし相手のプレーブックが手元にあったらシュレッダーにかけてビリビリにする前に、少しだけ見てからシュレッダーにかけるだろう。
 練習前にはスカウティングをもとに紙芝居を書く。ダミーチームの体型と動きが記された紙のことを慣例的に紙芝居といったりダミーカードと言ったりする。

 クリアファイルに詰め込んだ紙芝居をもってディフェンスの前に立つ。紙芝居を見せてハドルをブレイクさせる。そのままオフェンスの後ろに回ってプレー開始を待つ。その間に次のクリアファイルのページをめくる。ボールが動く。一度にすべては見きれないのでランプレーならオフェンスラインを、パスプレーならボールが飛びそうなサイドのレシーバーを見る。ディフェンスがボールキャリアに集まってくる。本気のタックルは練習では行わないため程よいタイミングで笛を吹く。そして再度ディフェンスの前に行きクリアファイルを掲げる。
 とにかく動き回っている。学生時代は紙芝居を書くのが上級生。練習中に紙芝居片手にグラウンドを走り回るのが下級生と相場が決まっていた。ミネルヴァ以前に最後紙芝居を出したのはいつだろうかと記憶を巡るが思い出せない。それぐらいぶりに芝居を出して、「そうか、1年生だもんな」と思うのよりも先に「コーディネーターがやる仕事か!!」と地団太を踏んだ。

 実際、動き回っているとプレーを見ることに集中できないことがある。本当はグラウンド横に設置されているヤグラの上から全体を俯瞰していたいのだが、スタッフの少ないチームではそうもいかないのが現実だ。そして選手の近くで動き回っているからこそ感じてしまったことがあるのもまた現実なのだ。

 だれも勝ち負けにこだわっていない。

 はっきりとそう感じた。ポジションにセットしても、ボールを落球しても、プレーが失敗しても成功しても、みんなが笑顔だ。つい最近まで大学で息の詰まるような雰囲気で練習をしていた私には不思議でたまらなかった。確かに「社会人と学生は違う」や「学生のノリの人はいない」といった話はよく聞く。しかし私には、そういった言説を盾に勝敗にこだわらない姿勢を肯定しているように見えた。
 そんな姿を私は「負け犬」という1ミリのオブラートにも包まない言葉で揶揄した。

 しばらくの間考えていた。どうして負けても笑っていられるのだろう。選手に「ただ楽しくアメフトができればいい」と言われた時には、「そうか!アメフトをすることと、勝負に勝つことは違う欲求なのか!」と妙に納得しかけたが、チームが私を勧誘した理由はチームを勝たせるためで私もまたチームを勝たせるためにやっている。「勝つことで存在証明をしよう」と声高にスローガンをぶち立てておきながら「アメフト楽しい~☆ラブ&ピーース!!」で済むはずがないのだ。
 数行前で納得しかけておいてなんだが、「アメフトをする」のに「結果に興味がない」なんてことはあるのだろうか。小学生のころ、特になんの前振りもなくじゃんけんをして負けたとき無性に悔しかった経験がある。中学生だったら「負けたら好きな子を発表する」とか、大学生なら「ショットグラス一気飲み」みたいな罰ゲームを背に悔しがるものだが、小学生のころはただじゃんけんという勝負の結果に一喜一憂していた。
 そんなことを思い出して、勝ちたいという気持ちは本能としてプログラムされている感情のような気がした。そしてその気持ちに「興味がない」と覆いをかぶせるのもまた、自己防御のプログラムなのかもしれない。バカ正直に勝ちたい!!と剣を手にして思い切り負けるよりも、興味がないと盾を構えて負ける方が傷つかないから。

 私は選手の盾を取りあげたい。リーグ戦で負け越し続けて、その度に分厚くなる「興味ないバリア」を壊したい。その代わりに剣を与えたい。「自信」とか「執念」とか「勝ちたい!」とかに名前を変える剣を握らせたい。確かに傷つくかもしれないし、もしかしたら死にたくなるかもしれない。けれどその時は選手と共に血まみれになる責任を、負おう。選手を戦いの場に引きずり出すのに私だけ守られるわけにはいかない。

 今はまだ戦々恐々、負け犬のチームを、血気盛んなアンダードッグにしてみせようと決心する前に、練習のビデオを見てミスする選手に悪態をつく私であった。


Twitterではよりリアルタイムな悩みや、エッセイにまつわる写真やエピソードをつぶやいています。】
twitter.com