Coach the novice. 2nd season

アメフト未経験。早稲田大学卒。企業に就職できなかった私がひょんなことから社会人アメフトのプロコーチに。コーチ歴2年の新米コーチの悩みや気づき、おぼつかない足取りを辿っていきます。

エッセイ「Bギャップでの生活」

 外に出て自由に活動できない世界に、少しずつ慣れてきている。
 
 人は慣れる。環境がそうあることを要求してくるのであれば、基本的に何にだって慣れることができる。小学2年生のころに突然、和梨の名産地からロンドンで暮らすことになったのも慣れたし、言葉の通じない上になぜか飛び級で4年生のクラスに通うことになったのにも、数週間で慣れた。ミュンヘンデュッセルドルフへと転校続き。中学2年で日本に帰ってきたが、学校を国ごと移ることにも慣れた。あれだけ嫌がっていた男子校での生活は慣れるどころか、今の自分に欠かせないものだった。そして男子校で軽く患った女性への不慣れさも大学に進学してすぐに治ったし、男子校時代にあれだけ羨望と嫉妬の視線をそそいでいた「彼女持ち」だったが、いざ自分に彼女ができれば不思議と慣れた。

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エッセイ「燃えすぎて、震える。」

 ここのところ、東京都なり千葉県なりで外出を控えるように要請があって外に出られないものだから、ついつい世間に夜更かしが公認されたような気がして完璧な昼夜逆転生活に陥っていた。朝の11時に寝て夜の8時に起きる。それは「完璧な昼夜逆転」というボキャブラリー貧弱な表現以外では言い表せない。
 そんな生活だから、今日も寝ようと思ったのは世の中から遅れること約11時間。2020年3月30日の午前11時12分に、私の3月29日はようやく昨日になった。

 ふと目が覚めた。反射的に右手でスマートフォンを探す。全く話は変わるが、最近になってようやくアンドロイドフォンからiPhoneに機種を変更した。8年間、アンドロイド機種にこだわり続けてきた私だが、たったの3日だった。iPhoneが私の8年を否定するのに必要だった時間は。

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エッセイ「プロになるということ」

 プロコーチとしてチームとプロ契約をした。ついに。と枕詞をつけてもいいほどの、いわゆる苦節を私は経験していない。プロになっておきながらなんだという話ではあるが、そのことが多少のコンプレックスでもある。「苦節○○年」は「ついに」のさらに前に置かれる枕詞だから、「ついに」というならばそれなりの苦労と血と汗と涙があってしかるべきなのだ。たった1年。私のコーチ歴。たった4年。私のアメフト歴だ。ここで私は二つの立場のうち、どちらかに立つことを迫られている気がする。
 「少年少女よ!誰だってアメフトコーチになれるぞ!」というボーイズビーアンビシャス的な立場か、
 「いやいや、運よくチームに拾ってもらっただけですよ。」という謙虚男子の立場か。

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アメフト学「フルバック不要論」

 はじめに、フルバックの流行を受けて「流行っているから真似をする」といった具合に導入を考えている方がいれば、今すぐに考え直した方がいい。やめた方がいいとは言わないが、それが全くの空振りに終わるかもしれないことについて、この文章をきっかけに考えてほしい。

 TEやFBによるブロッキングが機能的に組み込まれたプロスタイルフットボール。スプレッドオフェンスやエアレイドオフェンスの台頭がもたらした、パスを中心とした戦略に影を潜めていたが、ここ2,3年で再び流行の舞台に立ち返らんと勢いを増している。「FBの復活!」などと言われているが、そのことについていくつかの視点を持ち込んで考察してみよう。資料も希薄で、論文な文体がうっとうしいが、アメフト好きには是非読んでいただきたいし、このことについて、例えばアメフトの古くからの変遷に詳しい方には検証していただきたいし、カレッジフットボールに造詣の深い方にも活発な意見交換をしていただきたい。そうしてここに、「アメリカンフットボール学」が発現するのだ。

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